このイコンには、モーセの姿が3回描かれています。モーセは、羊の群れを連れて神の山ホレブ(=シナイ山)にやって来ました(出エジプト記3)。すると、神の御使いがモーセの前に現れました。左側のモーセは、羊飼いの杖をついて、神の御使いを見上げています。一方右下のモーセは、うずくまって履物を抜いています。ここは聖なる土地だから、履物を脱ぎなさいと神に言われたからです。そして、はだしで山の上に立つモーセは、両手を差し伸べて、神から律法を授けられているところです。
ひとつの場面に同じ登場人物を繰り返し描くやり方は、異時同図法と呼ばれます。本来同時に起きているわけではないできごとが、複数組み合わせられているので、見慣れていないと奇妙な感じがします。しかし、3つの場面を時系列順に並べて、物語が順に展開していくようすを表す絵巻物のような描き方に比べて、モーセという人物の本質を、ひと目でとらえられるように表そうとする工夫だと思います。
3回繰り返されるモーセに加えて、このイコンには3つの奇妙なモティーフが見られます。ひとつめは、山の中腹のあたりに描かれた聖母子。緑の葉で編まれたクリスマス・リースのような、やや下ぶくれの輪の中に、聖母子が描かれています。突起状に突き出た小さな葉のかたまりが、いくつもつなげられて円を形づくっているのですが、よく見ると葉と葉の間に小さな炎が描かれていることがわかります。緑の葉は、炎に取り巻かれて焼けてしまわないのでしょうか。
もうひとつは、神の御使いの背中を横切って、葉と炎のリースに囲まれた聖母子の方へ、鋭く差し込む赤い光線。赤い光線は、洞窟を突き抜けて差し込んでおり、そのおおもとには、なんと赤い顔が浮かんでいます!これはいったい誰の顔でしょうか?なぜこんなところに浮いているのでしょうか?
3つめの奇妙なモティーフは、右奥に小さく描かれた、横たわる聖エカテリニです。これは、殉教者聖エカテリニの遺体が、天使によってシナイ山のお隣の山に運ばれてきたという、聖人伝の一場面を表すものです。(シナイ山と聖エカテリニについては、また別の機会に書くことにします。)
出エジプト記によれば、モーセは神の山ホレブ(シナイ山)で燃える柴を見ました。ところが、その柴は燃えているにもかかわらず、燃え尽きることがないのです!このふしぎなできごとは、聖母懐胎の予型と解釈されました。神の子であるイエスは、神性の炎をうちに宿しています。生身の女が神の子を身ごもったりしたら、その人は神の炎によって焼かれてしまうでしょう。しかしマリアは焼かれることなく、イエスを身に宿しました。そのため、燃え尽きることのない柴が、聖母の懐胎をあらかじめ示すしるしであると考えられるようになったのです。
つまり、緑のリースは、モーセがホレブで見た柴と、それが予型するところの聖母子を重ねて表したものであり、そこに突き刺さる赤い光線は、神の炎であるイエスが、マリアの胎内に宿ったことを表しています。浮かんでいる赤い顔は、すなわちイエスの神性の炎を表すものであることがわかります。
このイコンはまた、古い律法を体現するモーセと、新しい律法を体現するイエスの対比を示しています。そうであるとすれば、モーセの目の前に現れた神の御使いは、受胎告知の時マリアの前に現れた、大天使ガブリエルを予示するものと言えるかもしれません。
モーセは朱色のヒマティオンを身にまとい、色と形が燃え上がる炎のようにも見える山とともに描かれているので、モーセもまた、神の炎の中にあって燃え尽きることなく、立ち続ける者であるかのように見えるのです。
(瀧口 美香)