「預言者エリヤの昇天」を描いたイコンです。以前このコラムで取り上げたことがある、同じ図像のイコン(ノヴゴロドのイコン)と見比べながら、このイコンを見ていきたいと思います。旧約聖書によれば、エリヤは火の馬と火の戦車に乗って、天へと昇っていきました(列王記下2:11)。
ノヴゴロドのイコンで特に目立っていたのは、しずくの形をした大きな赤い炎の描写で、その中にエリヤと馬が包まれていました。こちらのイコンには、そのようなしずく形は見当たりません(しずくを抱え込むかのようなしぐさの天使の姿もありません)。しかし、馬はノヴゴロドと同じ炎の色で、背景も明るい橙色です。エリヤが操る馬は、足元の白い雲を蹴って駆け抜けていきます。
ノヴゴロドのエリヤは立ち上がって、両手を神の方へと差し伸べていました。一方、こちらのエリヤは手綱を握りしめて馬を操っています。乗り物は小さくて、車輪だけが強調されているために車椅子のように見えます。
どちらのイコンでも、弟子のエリシャは右の方を向いていますが、エリヤの向きが反対なので、だいぶ印象が異なります。ノヴゴロドでは、エリヤがエリシャに背を向けており、エリシャがエリヤの裾を引っ張っているので、エリシャが地上に置き去りにされている感じが強く伝わってきます。
一方、こちらのイコンでは(エリシャが地上で、エリヤが空の上にいるので、高さは違っていますが)、二人が向きあって描かれています。エリシャはあわてたようすもなく、ひざまづいていてエリヤを見送っています(「自分を置いていかないで」という必死さは、それほど感じられません)。
ここでエリシャが見ているのは、昇天していく師のエリヤよりは、エリヤが地上に落としかけている衣の方です。服の前立ての黄色い縁取りが目立っています。よく見ると、馬と乗り物をつなぐ馬装具(馬の胴体を縦横にくくる紐)も、同じような黄色です。馬装具の黄色が、エリヤが残した服において繰り返されていることから、この服を手綱のように握り、これがあなたを導くところへと進めと、師が弟子に衣を託しているようにも見えます。
ノヴゴロドのイコンとのもう一つの大きな違いは、ごつごつの乾いた岩場は見当たらず、緑の野辺が描かれているということです。木々には葉が繁り、葉の緑に黄色や白の点々が重ねられているため、日の照り返しで葉がきらきらと眩しく見えるかのようです。雲の下の方に、やわらかな色合いの橙色や黄色、黄緑の短い筋がゆるく描かれていますが、雲間から漏れ出す光が、地面の緑と混じりあうかのようです。
最後に、エリヤという名前の意味について考えてみたいと思います。エリヤはヘブライ語で「ヤハウェは我が神」という意味で、ギリシア語ではΗλίας (ローマ字ではHlias, 以下同様)と綴ります。Ηλίας(エリアス=エリヤ)は、ギリシア語のἥλιος(hlios ヘリオス=太陽)と綴りがよく似ています。ἥλιοςの最初の文字(h)を大文字にするとἭλιοςになるからです。ちなみに古代ギリシア語のΗは、有気記号の῾があれば「ヘリオス」のような「へ」の音で、なければ「エリアス」のような「エ」の音になります。このことから、エリヤという名前は、実は太陽ととても近いということがわかります。
太陽と近しい名を持つエリヤが、炎に包まれて昇天するその姿は、彼が太陽とほとんど一つになって、神の元へと向かっていくさまを思わせます。そう考えてみると、服の前立ての黄色は、雲間から差す一筋の太陽の光のようにも見えてきます。
その一筋の光は、エリシャに(そしてイコンを見ているわたしたちに)、これから進むべき方を示してくれるものなのかもしれません。
(瀧口 美香)