シメオンの没後、彼の生涯に倣って、柱上で修行する修道士たちが次々と現れました。このイコンは、そのうちの一人であった小シメオンを描いています。
柱上行者シメオン (1)のイコンと比べてみると、いくつか違いがあることに気づきます。小シメオンの柱には覆いがなく、背後に岩がそびえています。また、聖母子が左上に描かれ、小シメオンはそちらの方に手を差し伸べています。バルコニーの下にある雲の表現は、もう一つのイコンと共通ですが、聖母子がそれと同じような雲によって囲まれているために、小シメオンが、聖母子と出会い語り合うほどの高さまで、天上に近づいていることが伝わってきます。
聖母子の背景には、夜空を思わせる星々の輝きが描かれています。聖母は時に「天より広き者」と呼ばれるため、天空を思わせる描写は、聖母にふさわしいものです。小シメオンは、それと同じ色のクーコリ(修道士のかぶり物)を身に着けているので、屋根の代わりに天空が彼の頭上を覆っているようにも見えます。
背後にそびえている岩は、ずいぶん変わった形ですが、アナトリアの火山地帯では、やわらかい凝灰岩が長年の風雨に浸食されて、煙突やキノコのように見える奇岩が多く生み出されました。柱の色が、岩の色に似ているので、階段や欄干付きの建造物でありながら、なかば岩と一体化しかけているかのようです。「主はわたしの岩、砦、逃れ場」、「主をたたえよ、わたしの岩を」という詩編の一節(18:3; 144:1)が思い起こされます。
一方、イコンの岩の色は、氷の塊のようにも見えます。岩が凍てつくほどの極寒の日々、それでも柱上に留まる小シメオン。それが、神の光によって満ちみちる瞬間を、イコンは描いているように見えます。柱上の小シメオンは、確かに神の光を見たのです。
聖人の没後も、人々は奇跡や助けを求めて柱のもとを訪れました。柱は、彼らの声を聴き続けたのだと思います。人々の悲しみ、痛み、苦しみ、希望、祈り、沈黙。柱の下に立って上を見上げる人々の息づかいが、柱の表面からその内側へと浸透していったような気がします。
2016年、アレッポ近郊の爆撃によって、シメオンの柱が砕かれたという報道を耳にした時、聖人の亡き後もその場に留まり、(聖人に代わって)柱が見守り続けてきた大切な何ものかが、取り返しのつかない形で消え失せてしまったような気がしました。シメオンが今、争いの絶えない地上の惨状を目の当たりにしたら、いったい何と言うでしょうか。
柱が砕け、地面に粉々に散った小石の周りに、それでもなお、神の光が再び満ちみちるように。イコンの小シメオンは、そう祈っているように見えるのです。
(瀧口 美香)