2019年1月24日、香港聖公会香港島教区聖ヨハネ大聖堂にて行われた聖公会国際礼拝協議会の閉会聖餐式において、同大聖堂主任司祭マティアス・デア師によってなされた説教の原稿を、同師のご厚意により和訳して掲載します。なお文中にある通り、リ・ティム-オイ師の按手記念日は1月25日であり、当日はこの前夕にあたっていました。
恵み深い神よ、あなたの愛する娘フローレンス・リ・ティム-オイを、私たちの聖公会の交わりの中で司祭の職務を行う最初の女性として召してくださったことを感謝します。あなたの霊の恵みによって、わたしたちを彼女の模範に従わせ、人生を通して忍耐と喜びをもって人々に仕え、どのような状況にあっても、神と聖霊とともに世々に生き支配しておられる一人の神、救い主イエス・キリストを証しする者としてください。
最初に、今週この大聖堂でお過ごしくださったことによって、大聖堂を恵みで満たしてくださったことに感謝いたします。今年は私たちにとって、この聖堂の170周年を記念する、大切な、また喜びの年でもあります。アングリカン・コミュニオンの様々な管区の代表として多くの方々をお迎えしたことを、光栄に思っております。礼拝協議会が順調に進んでいると伺い、嬉しく思います。皆さまの働きが、世界中の聖公会で実を結ぶことをお祈りいたします。
皆さまに、今から75年前のこの大聖堂に座っているご自身の姿を想像して頂きたいと思います。1944年、第二次世界大戦の最中です。この聖堂はすでに、1941年のクリスマスから日本軍によって占領されていました。壁にかかっていた大理石の記念碑や、聖堂を囲んでいたステンドグラスなど、多くの備品は破壊されていました。主任司祭やその他の聖職者たちも収容所に拘束され、この聖堂は日本軍の休養施設として利用されるようになりました。しかし、日中戦争が中国を広範囲にわたって破壊し、数百万人もの人々が殺されたり追放されたりする中で、1944年1月25日、聖パウロ回心の記念日に、香港のすぐ北に位置する広東省の肇慶市という小さな町で、R. O. ホール主教は、フローレンス・リ・ティム-オイ(李添嬡)という女性を、神の教会において司祭に按手しました。アングリカン・コミュニオンで初めての女性の司祭として。
その3年前、フローレンスはこの大聖堂で執事に按手されました。しかし、彼女の召命は1931年にまでさかのぼります。まさにこの大聖堂で、あるイギリス人の女性が女執事(deaconess)・説教者に任命され、後に主教となったモク・ショウ・ツィン(莫壽增)大執事が、会衆にこのように問いかけたときです。「ここに、中国において神に仕えるために、自らを捧げようとしているイギリス人の女性がいます。中国人の女性で、自身を自国の人々のために神に捧げようと望んでいる人はいませんか?」。当時24歳だったフローレンスは心の中で、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(イザ6:8)と応えました。
初期の神学的な訓練を経て、彼女は香港で奉仕をし、その後マカオでも働きました。ホール主教は、彼女が戦争で苦しみ、亡くなっていく人々に信仰深く仕える姿に、司祭職の賜物を認めました。司祭が―言うまでもなく全員男性でしたが―日本の占領地に足を踏み入れることができない中で、フローレンスは大胆さと献身をもって教会の働きに従事しました。ついにホール主教は、戦火が荒れ狂う地域に赴くという命の危険をおかして、彼女を司祭に按手しました。それによって、彼女がユーカリストを執行し、人々に聖品を分け与えることを可能とするためです。
この地域の教会の人々は、彼女の司祭按手を大きく受け入れました。しかし、1945年に戦争が終わると、皆さんがご想像の通り、この按手は西洋に大きな議論を引き起こすことになりました。イングランド教会の主教たちは、ホール主教が辞任するか、あるいはフローレンスが聖職位を放棄するかのいずれかを求めました。議論を収束させるために、彼女は職務の資格から退きましたが、聖職位を退くことは決してせず、中国の教会に何十年にもわたって仕え続けました。文化大革命が起きたとき、教会は大変な迫害に直面し、彼女は労働収容所に入れられ、他の司祭やクリスチャンとともに苦難を経験しました。1981年、彼女は家族と再会するために中国を出国することを許され、その後1992年に帰天するまで、カナダに住みました。
私は大変光栄なことに、カナダで人生最後の時を過ごしていたフローレンスと個人的に知り合うことができました。私たちの結婚披露宴で感謝の祈りをしてくれたのも彼女でした。実は、彼女は1941年に諸聖徒教会で奉仕していた頃にさかのぼり、私に先立つ4世代の私の家族を知っています。父によれば、フローレンスは日曜夜の家族礼拝のために祖父の家をしばしば訪れ、説教もしたそうです。当時5歳だった私の父は、彼女の横に立ち、首にストールのようにスカーフを巻いて司祭の真似をすることが大好きだったそうです。そのときは、これが彼自身の司祭職の始まりになるとは、思ってもいなかったことでしょう。私の父は、今年の5月に司祭按手58周年を迎えます。
「フローレンス・ティム-オイ」とは中国語で、「とても愛されている者」という意味で、彼女は優しく、そして人々に勇気を与える女性でした。私が彼女と知り合ったとき、彼女は初めての女性司祭として、世界的に有名でした。しかし、有名になることで、彼女の本来の働きが邪魔されることは決してありませんでした。彼女は80代になっても、説教するのがとても好きでした。「あまりに長い間、説教することを許されなかったから」と彼女は言っていました。彼女は知的で、思いやりがあり、聖人のような人でした。亡くなる数年前に健康を害し、彼女は病院に入院しました。それでも私が訪問すると、私が彼女を牧会するのではなく、むしろ病院のベッドに寝たきりの彼女に自分が牧会されるのが常でした。彼女は私の家族の様子や私の生活について聞き、私のために祈ってくれました。
私が最も感銘を受けたのは、彼女が教会や政治の混乱の中で、本当に困難な思いをしても、彼女の中には憎しみが全く見られなかったことです。彼女は、自分の人生をみじめにさせた人たちに対して、批判やきつい言葉を口にすることはありませんでした。ねたみや皮肉、悲しみを持ち続けるのではなく、彼女はこれらのつらい出来事を通して神の恵みによって変えられ、自分を傷つけた人たちを許すことができるようになりました。私は彼女の人生と、司祭としての働きの中にキリストを見ました。
今夕読まれた福音書では、イエスは70人を派遣する時、「私はあなたがたを小羊のように、狼の群れの中に送り出す」と言われました。私たちは、人生や奉仕の職務がスムーズで満足感のあるものであってほしいとどれほど願っていることでしょう。しかしその反対に、イエスはそこには困難、不安定、敵対心が存在すると警告しています。
近年、教会の内外を問わず、私たちの周りの多くの人々が、まさしく狼の中で生きています!フローレンスの人生の大半も、狼の中で生きるようなものでした。今日、多くの人々が平和と希望を見い出したいと願っています。ある信徒からつい最近聞いたことですが、彼の妻の会社が行っていた不正の可能性がある取引について、彼の妻自身は関与することを拒否したにも関わらず告発され、職務を行うための資格を失いそうになっています。香港における10代の自殺率は痛ましいものです。大勢の人々が狼の中で生きています。しかし、この世が狼だらけだからこそ、イエス・キリストは私たちに贖いと解放をもたらすために、来て、生きて、死に、死者の中から復活されたのです。
この協議会の働きである礼拝も、教会がこの傷ついた世界に贈る賜物の一つです。フローレンスがそうであったように、しばしば礼拝において、神はご自身の呼びかけを聴く機会を与えるのです。しばしば礼拝において、私たちはキリストの臨在を体験し、人生を生きるために必要な恵みを受けるのです。フローレンスの司祭職は、これを顕わしました。共同の礼拝において、多くの人生が変えられていくのです。
「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」。この言葉をもって、フローレンス・リ・ティム-オイは神に応えました。私たちは今日のこの世界にあって、私たちの生活を通して、キリストの平和と希望をもたらすために、どのように応えていくのでしょうか。
私たちが今日直面するどのような状況においても、神が私たちに勇気と信仰を与え、その平和と希望の道具としてくださいますように。アーメン。