マリアとヨセフは、幼子イエスを主に献げるために、エルサレムの神殿に連れて行きました。そこで、シメオンに出会ったのです。シメオンは、「主が遣わすメシアを見るまでは死ぬことはない」というお告げを聖霊から受けていました。シメオンはイエスを腕に抱き、「主よ、今こそあなたはお言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです」と言って、神をほめたたえました(ルカ2章)。
イコンには、祭壇とその上を覆うキボリウム(天蓋)が描かれていて、ここが神殿であることを表しています。キボリウムの下に聖母が立っています。シメオンは、聖母の手から幼子を引き渡され、その腕にイエスを抱き取っています。聖母の後ろに、女預言者アンナ、そしてささげものを携えたヨセフが描かれています。
紀元前3世紀ごろ、エジプトのプトレマイオス2世は、アレクサンドリア図書館から依頼を受けて、ヘブライ語の旧約聖書をギリシア語に翻訳するという、大きなプロジェクトに着手しました。プトレマイオス2世はエルサレムに使者を送り、翻訳に当たる72人の学者を選んで、エジプトに連れて帰らせました。72人の内訳は12部族の中から6人ずつで、そのうちの一人がシメオンだったと伝えられます。
シメオンは、イザヤ書の翻訳を担当することになったのですが、7章14節の「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」という一文を見て、おとめというのは何かの間違いだろうと考えました。おとめが身ごもるはずがないからです。そして、「おとめ」を「女」と書き換えようとしたところ、天使が現れてシメオンの手を押しとどめ、「あなたはこのことが実現するのを見ることになるだろう」と告げました。
このいきさつは、『アリステアス書簡』(紀元前2世紀)という文書によって伝えられるもので、史実というよりは物語と考えられているのですが、「わたしはこの目で救いを見た」というシメオンの声の背後に、このようなできごとがあったかもしれないと考えると、シメオンのことばが、なおいっそう重く感じられます。
シメオンをめぐるもう一つの物語として、指輪のエピソードが知られています。シメオンは、エジプトからエルサレムへの帰途、川に指輪を投げ込んだと伝えられます。指輪が見つかれば、イザヤの預言は正しく、見つからなければ預言は間違っていることの証であると、シメオンは考えました。次の日、シメオンが買い求めた魚の腹を切り開くと、そこからその指輪が出てきたのです!こうしてシメオンは、神殿で幼子イエスと出会う日をひたすらに待ち望みました。
ここで、もう一つのイコンを見てみましょう。神殿奉献の場面から、シメオンと幼子の部分だけトリミングして、クローズアップしたようなイコンです。白髪のシメオンが、両手を布で覆って、幼子を抱きかかえています。
はじめに見た神殿奉献のイコンのイエスは、シメオンに抱えられながらも、それとは逆の聖母の方を向いて、そちらに手を差し出しています(拡大図をご覧ください)。イエスは、シメオンの腕の上にちょこんと座っているような姿勢で描かれています。
一方、二人をクローズアップした方のイコンに描かれているイエスは、体を横たえるような姿勢で、足首をクロスさせています。そのイエスの輪郭をたどってみると、少しだけ魚のような形にも見えます(クロスさせた足首の部分が、魚の尾に当たる感じです)。
イエス、キリスト、神の、子、救い主、という一連の語の頭文字をつなげると、イクトゥス(ギリシア語で「魚」という意味)の一語になることから、初期キリスト教の時代から、魚はイエスのシンボルとみなされてきました。それゆえ、イコンに描かれたイエスの身体が、魚を思わせるものだったとしても、それほど不自然ではありません。仮に、シメオンの腕に身を横たえるイエスの身体が魚に見立てられるとするなら、イエスの光背は、シメオンが川に投げこんだ指輪を連想させるものかもしれません。
魚に飲み込まれた指輪が、魚の腹の中から発見されるというシメオンの物語は、旧約聖書のヨナを思い起こさせるものでもあると思います。ヨナもまた、大きな魚に飲み込まれ、3日後に吐き出されたからです。そしてこのできごとは、キリストの復活の予型を表すものと考えられています。
つまり、ここでシメオンが腕に抱いているのは、救い主がおとめから生まれたことを証しするイエスであると同時に、生まれた時からすでに復活の予兆を身に帯びているイエスでもあるということです。イコンの画家は、魚の形を思わせるようなイエスを描くことで、シメオンの指輪(=おとめの出産)、そしてヨナと魚(=復活の予型)を見る者の中に呼び起こそうとしたのかもしれません。
イザヤの預言を疑ったシメオンとは正反対の、救いを確実に手にし、その重みを受け止めるシメオンが、ここに描かれているのです。
(瀧口 美香)