大天使ミカエルとアルキッポスの二人が、向き合って描かれています。大天使ミカエルは、右手を高く上げて長い槍を握りこんでいます。一方、アルキッポスは聖堂の前に立ち、大天使ミカエルに向かって両手を差し出しています。
二人の間には、細い柱のような物が描かれ、それぞれが二つの連続するアーチの下に立っているように見えます。ところが、一見柱とアーチのように見えた物は、輪郭線が小さく波打っており、建造物ではないことがわかります。よく見ると、水色の筋が波線状に描かれています。つまりこれは、アーチではなくて水の流れを表しているのです。
それでは、この水は下から上に向かって噴水のように吹き上げる水でしょうか。あるいは逆に、上から下に向かって細い滝のように流れ落ちる水でしょうか。イコンの画家はなぜ、そのどちらとも取れるような描き方をしたのでしょうか。
ことの発端は、4世紀まで遡ります。フリギア地方のラオディキアというところに、癒やしの泉がありました。その泉の水のおかげで、ろうあの娘が言葉を発することができるようになったので、娘の父はその奇跡に感謝して、泉のほとりに聖堂を建てました。聖堂は大天使ミカエルに捧げられ、アルキッポスはそこで堂守として仕えていました。
泉で癒やされた人々が、次々キリスト教に改宗するのを見て、異教徒たちは、聖堂を打ち壊そうと企てました。土を掘り返し、川の流れる方向を変えて、勢いを増した激しい流れによって、聖堂が押し流されるよう仕向けたのです。
一度目の試みが失敗に終わると、異教徒たちは次に、聖堂の両側を流れる二本の川の水を一ヶ所に集めて、せき(ダム)を作りました。彼らは、十日間水をせきとめた後、真夜中に、一気に大量の水を聖堂に向かって放出させたのです。
ほとばしる水の轟音の中で、アルキッポスは、聖堂を守り給えと祈りました。聖堂が大水に飲み込まれそうになったその時、大天使ミカエルが現れ、手にした槍で岩を突きました。すると岩が裂けて、激流はことごとくその裂け目に吸い込まれていったのです。そのようすは、あたかも水がじょうごに吸い込まれていくかのようでした。そのため、聖堂と泉のある土地は、以降コナエ(ギリシア語でじょうごの意味)と呼ばれるようになりました。
つまり、二つのアーチと細い柱のような水流は、合流して岩へと流れこんでいく水を表していたのです。このイコンに山は描かれていませんが、背後に二つの山を配し、川が山から流れ落ちるさまを描くイコンもあるし、異教徒が真っ逆さまに水流を落ちていくさまを描くイコンもあります。
ビザンティンのイコンは、奥行きを表さないので、三次元的な空間を再現する絵画を見慣れているわたしたちの目には、かなり奇妙に見えますが、細い柱とアーチのように見える描き方は、実は、画面の奥から手前に向かって、高いところから地面に向かって流れる水を表しているということです。
コナエの水は、異教徒の邪悪な企ての産物であり、彼らをもろともに流し去る裁きの水です。それは、ノアの洪水や、エジプト軍を溺れさせた紅海の水を思わせます。その一方で、水を挟んで二人が並び立つ構図は、「キリストの洗礼」に少し似ているかもしれません。洗礼の水は、人がひとたび死んでよみがえることを象徴する、再生の水です。
イコンに描かれた水は、上から下に向かって流れ落ちていくものでありながら、同時に、下から上に向かって吹き上げているようにも見えるので、モーセが岩を打ち、そこから水がほとばしり出てイスラエルの民の渇きを癒やした、出エジプト記(17:1-7)を思い起こさせます。
コナエの変わった水の表現は、裁きの水と癒やしの水、そのどちらをも暗示するものであるかもしれません。
(瀧口 美香)