日本聖公会東京教区 聖アンデレ主教座聖堂

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洗礼者ヨハネ

洗礼者ヨハネ
(クレタ島のアコタントス画)

洗礼者ヨハネは、らくだの皮衣をまとって荒野に住まい、イエスに先立って人々に教えを説き、彼らに(そしてイエスに)ヨルダン川で洗礼を授けた人です。新約聖書に登場する人ですが、同時に旧約最後の預言者とも位置づけられます。つまり、新約と旧約を橋渡しする役割をになう者、ということです。

このイコンは、クレタ島のイコン画家、アコタントスの手によるものです。洗礼者ヨハネは、大きな翼をつけているので、まるで天使のように見えます。ヨハネの翼は、マタイによる福音書の「『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ」(11:10)という箇所が典拠となっています。マタイの記述は、マラキ書の「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える」(3:1)や、出エジプト記の「見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる」(23:20)、「見よ、わたしの使いがあなたに先立って行く」(32:34)に基づいています。使者とは、すなわち神の御使い(天使)のことを指すことから、洗礼者=天使=有翼という図像が生み出されたのです。

教父たちは、洗礼者ヨハネが単なるキリストの先駆者なのか、あるいは受肉した天使なのか、ということについて論じてきました。たとえば、7世紀のエルサレム総主教ソフロニオスは、洗礼者ヨハネが本質において天使と類似すると述べています。カトリック教会は、洗礼者ヨハネと天使を同格と見なす見解を、異端として退けたために、西ヨーロッパの美術に、有翼のヨハネ図像は見られません。

洗礼者ヨハネの誕生
(アルハンゲリスク美術館蔵)

ロシアのアルハンゲリスク美術館に所蔵されている洗礼者ヨハネのイコンは、このクレタのイコンとは少し異なる図像で、有翼の洗礼者ヨハネが中央正面に立ち、その左右にシナゴーグ(=ユダヤ教)と教会(=キリスト教)を表す建造物が描かれています。縦長の二つの建造物(シナゴーグと教会)は、同じく縦長の、ヨハネの二枚の翼を繰り返しているかのように見え、まさにヨハネが新約と旧約を橋渡しする者であることが伝わってきます。

ここで、クレタのイコンに立ち戻って、ヨハネの足元を見てみると、足台つきの皿の上に、彼自身の頭部が置かれているのが見えます。ヨハネは、ヘロデによって捕らえられ、首をはねられました。処刑ののち、頭部と首なしの胴体は別々に埋められ、そのありかは誰にも知られていませんでした。

ところが、ヨハネの頭部は、一度のみならず、三たび(!)発見されたと伝えられます。一度目は、オリーブ山で。二度目はエメサ(現シリアのホムス)で。そして三度目はコンスタンティノポリス(現トルコのイスタンブール)で。処刑ののち行方不明となっていたヨハネの頭部は、ある時オリーブ山で発見されたのですが、キリスト教徒迫害の時代に入ると、破壊されることを恐れて、再びどこかへ運び去られ、隠されました。5世紀ごろ、その頭部がエメサという都市で「再」発見されたのですが、イコノクラスムの時代、聖像破壊者の手を逃れて、再び隠されてしまいました。そして、850年にコンスタンティノポリスで「再々」発見されたのです。クレタのイコンに描かれている岩場は、オリーブ山を表すものであるように見えます。

イコンの右上に、キリストの姿が描かれ、ヨハネと語り合っています。二人は今、どのようなことばを交わしているのでしょうか。もちろん、ヨハネの巻物に記された文字(見よ、神の言葉、忌まわしい罪を非難した者がヘロデのために被ったところのものを。見よ、辱めを受けることなくわたしの頭を断った者、おお主よ)が、ヨハネのことばを伝えているのですが、このイコンからは、それとはまた別の、彼の声が聞こえてくるような気がします。

オリーブ山といえば、十字架に架けられ、死んで葬られ、三日後によみがえったキリストが、四十日後に昇天した場所です。「キリスト昇天」の図像は、天使に囲まれたキリストが、使徒たちと聖母を地上に残して、空に昇っていく姿を描くものが定型です。

オリーブ山で自らの頭部とともに描かれる洗礼者ヨハネは、キリストに向かってこう語っているのかもしれません——かつてこの場所であなたが天に上げられた時、天使たちをともなっておられた、あの時のように、わたしをその天使のひとりとしてください。わたしに与えられた、旧約と新約を結ぶ二つの翼が、今、天と地を結ぶ翼となりますように。

(瀧口 美香)

使用画像:
Public Domain (Wikimediaより引用:“File:St John the Baptist by Angelos Akotantos (Byzantine museum).jpg”)
"Рождество Иоанна Предтечи - 24 июня (7 июля)", Pravoslavie V Amerike
▼筆者:瀧口 美香(たきぐち・みか)
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