両腕を開き、てのひらを天の方に向ける姿勢の聖母は、オランスの聖母と呼ばれます。オランスとは、「祈る人」という意味です。
聖母の胸の前に、円形のメダイヨン(大型のメダル)が描かれ、その中にいるイエスは、聖母の胸の前で浮いているかのように見えます。オディギトリアの聖母のように、イエスをしっかりと腕に抱きかかえていない聖母は、写実的な描き方に慣れているわたしたちにとっては、奇妙なものに見えてしまいます。
それでは、このような描き方は、どこからくるものなのでしょうか。
かつてビザンティン帝国の宮廷では、皇帝に仕える高官や皇妃が、皇帝の肖像を描いたメダルを胸に掛けていました。そのような宮廷の習慣を取り入れて、このような図像が生まれたといわれています。
このイコンは、「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ」というイザヤの預言(第7章14節)に基づいて、「しるしの聖母」とも呼ばれています。つまり、イコンは、おとめマリアが受胎した瞬間を表し、メダイヨンは聖母の子宮を表しているということです。
ところで、オランスの図像の源をたどっていくと、初期キリスト教の時代、死者を葬るカタコンベに描かれた、祈る人の姿にたどり着きます。カタコンベの壁に描かれた女の姿は、永遠の命を待ち望む、死者のたましいを表すものといわれています。
それでは、いったいなぜ、カタコンベで祈る人の姿と、聖母が重ね合わされたのでしょうか。
死者の祈りは聞き届けられ、永遠の命が与えられる。それと同じように、受胎の瞬間、聖母の胎内に永遠の命が宿る。死者の中に降りてくる永遠の命と、聖母の中に降りてくる永遠の命(イエス)との対比を、ここに見てとることができるのではないでしょうか。
円形のメダイヨンは、ホスティア(聖体)を思わせます。それをいただくことで、わたしたちのからだもまた、永遠の命とひとつになるところへと招かれているのです。
(瀧口 美香)