よく見ると、この聖母には手が三本あります!幼子イエスを抱きかかえる右手、イエスを指し示す左手。加えて、ベールの下の方からもう一本の手が見えています。
この変わった図像は、8世紀の聖像破壊運動に端を発するものです。イコンは偶像崇拝に当たるとして、聖像破壊論者たちは、帝国中のあらゆるイコンを打ち壊そうとしました。それに反対したシリアの聖人、ダマスカスのヨアンニスは、皇帝の前で腕を切断されました。ヨアンニスは神に祈りをささげ、「右手を元どおりにしてくださったなら、イコンを守るために戦い続けます」と約束しました。すると彼の腕は元どおりに戻ったのです。ヨアンニスは、感謝とともに、手の形のささげ物を銀で作り、それを聖母のイコンにささげました。
ヨアンニスの奇跡を記念して、首から銀の手をつるした聖母のイコンが描かれました。そのイコンは、シリアからパレスチナへ、そこからセルビアへ運ばれて、とうとうアトス山にたどり着きました。
アトス山にやって来たイコンには、首から銀の手をつるす聖母が描かれていたのですが、ある時、奇跡によって、別のイコンの聖母のベールの下から、三本目の手が出現したと伝えられます。その奇跡のイコンの写しが、モスクワに運ばれて、ロシア中に広まっていきました。
仏教の千手観音とか、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神とか、複数の手を持つ神さま仏さまの姿は他にもあるけれども、それにしても手が三本ある聖母だなんて、ぎょっとさせられます。イコン画家はいったい何を思いながらこの図像を描き、人々はどんな気持ちでそれを眺めていたのでしょうか。
たとえ今あなたが、体から手を引きちぎられるほどの痛みを抱えているとしても、その痛みから目をそらすことなく、その奥底を凝視すれば、そこに聖母の手が見えてくる。その手に気づきなさい。あなたの痛みは今、この聖母の手の中に。イコンは、そんなふうに語っているように見えます。
苦しみを抱えてイコンの前にやって来た人が、奈落の底に見出した聖母の手。この手によって、人はそのどん底からすくい上げられるのかもしれません。
(瀧口 美香)