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オディギトリアの聖母

オディギトリアの聖母の
イコンを描く聖ルカ

初めて聖母子の姿をイコンに描いたのは、医者であり、画家であった、福音書記者聖ルカであると伝えられています。聖母子のイコンには、オディギトリア、エレウサ、オランス、プラティテラなど、いくつかのタイプがあって、それぞれ異なる意味を担っています。このイコンに描かれているのは、オディギトリアと呼ばれるタイプの聖母で、オディギトリアとは、道を示す人という意味です。

オディギトリアの聖母を描いた最古のイコンは、5世紀頃、エルサレムからビザンティン帝国の首都コンスタンティノポリスに運ばれたと伝えられています。のちに、聖像破壊運動の嵐が帝国中を吹き荒れていた時、イコンは修道院の壁に埋め込まれ、隠されていたために、破壊を免れて生き延びました。やがて、聖像を擁護する人たちの勝利によって、聖像破壊運動が終結すると、再びイコン制作が始められるようになり、オディギトリアのイコンを模倣する聖母子のイコンが、数多く作られるようになりました。

オディギトリアの聖母のイコン(15世紀)

聖母はすっと顔を上げて背筋を伸ばし、左腕に幼子イエスを抱え、右手でイエスの方を指し示すしぐさをしています。一方イエスは、ヒマティオンと呼ばれる衣に身を包み、差し出された聖母の指先から少し離れたところで、祝福を表す手の形を作っています。もう一方の手には巻物を持っています。巻物は律法を表し、それがキリストにおいて成就されることを示しています。

聖母のまなざしは、わたしたちに何を語っているのでしょうか。何よりもまず、この人を見よ、と言っているように見えます。

ヨハネによる福音書に書かれているように、イエスは、「わたしは道であり(中略)わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と語りました。

そして聖母は、キリストという道を指し示し、さあ、この道に向かって踏み出しなさい、とうながしているように見えます。長い指先はたおやかで、まなざしは柔和に見えるけれど、同時に、神へと至る道はここだけであって他に道はないという、決然たるさまが伝わってくるような気がします。

しかし、人が進みゆく道は、常に晴れやかなものであるとは限りません。暗く垂れ込める曇り空の下を迷子のような気分で歩くこともあれば、八方ふさがりの中をただただ闇雲に歩き回ることもあります。向かっている先に明るい気配を少しも感じとることができないまま、うずくまりたくなることだってあります。

しかし、キリストが身にまとう衣のひだを見てください。ひだは、細い無数の金の線によって表されています。キリストのからだを道にたとえるとするなら、金の線は、道に差し込む光。この道を行こうとする者の眼の前に見えるのは、いつどんなことがあろうとも、光の中を続く道。オディギトリアのイコンは、見る者にそのように語りかけ、だからこそわたしたちは、時に恐れおののきながらも、初めの一歩をあえて前へと、ふみ出すことができるのです。

(瀧口 美香)

使用画像:Public Domain (Wikimediaより引用:“File:Unknown painter - Luke Paints the Icon of the Mother of God Hodegetria - WGA23494.jpg”, “File:Hodegetria - Byzantine Empire - 15th century.JPG”)
▼筆者:瀧口 美香(たきぐち・みか)
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