(※本稿は、1994年7月に行われた信徒奉事者研修会の講演録として東京教区宣教委員会が刊行した小冊子『シリーズ 奉仕職を考える Ⅰ』(1994)を、宣教主事の了解のもとに再録したもので、肩書等はすべて発行当時のものです。なお再録にあたり、一部の表記を改めたため、小冊子版とは相違が生じていることをご了解ください。)
目 次
「信徒奉事者とは?」が今回の研修の課題です。
皆さんは信徒奉事者として働いていらっしゃるわけなのですが、信徒奉事者という任務の本質は一体何か、自分で十分明確に理解できていないという発言をたくさん聞きました。この研修会は、皆さんと顔を合わせて、それぞれ自分で奉仕している状況や直面している問題を話し合う会だと思います。
自分自身の信徒奉事者としてのアイデンティティ(自分のありかたをはっきりさせること)や自分がどういう働きをしているか、それをお互いに話し合いながら理解を深めて明確化することが今回の会合の目的です。
わたしがこれから話すことも、信徒奉事者とはこういうものだと一方的に定義して皆さんに押しつけることではなく、皆さんが自分で明確化するため多少の資料を提供する意味でお話するとお考えください。
まず、信徒奉事者の意味を明確化できないということですが、日本聖公会法規の第6章に「信徒」に関する規定が書かれています。その第63条に信徒奉事者の任務について簡単な条項があります。それには信徒奉事者の任務について「礼拝において、牧師に協力する」としか書かれていません。このほかの規定もありますが、それは任期とか、資格とか、任命の手続きとか、そういう事が書かれてあるだけで、職務内容についてのものではありません。職務に関するものとしては、第2項の「信徒奉事者は、礼拝において、牧師に協力する。」だけです。
信徒奉事者とよく似た任務に「伝道師」という職務があります。伝道師は法規第4章に特別な項目があります。そこにも試験や認可のことは書かれてありますが、職務についてはまったく書かれていません。どういう科目で試験をするかとか、資格とか、転出とか転入とか、退職とか休職とか、そういう事については書かれてあります。職務内容の規定がありませんから、伝道師となった人は司祭の命じる職務を自分自身の理解で行うしかありません。法規では、伝道師は聖職ではなく信徒に属する仕事です。
現行の法規が発効するまでの古い法規では、聖職候補生が神学校卒業後教会に任命された時に、執事になるまで伝道師と言われていました。聖職候補生から執事になるまでの移行の段階として伝道師とされたのです。もうひとつ特別に伝道師だけの任務を志す、伝道師だけに専念して奉仕しようという信徒の方もいらっしゃいました。そのような信徒を昔は『特志伝道師』と言っていました。女性は区別して『婦人伝道師』と呼んでいました。
新しい法規では、聖職は聖職で伝道師と分けて別に規定しました。ですから伝道師は信徒に属します。教区会では教役者の議員ではありますが、法規上は信徒に属します。非聖職の教役者です。伝道師は聖職の職務から区別されましたから、聖職を志す神学生は神学校を卒業しても伝道師にならず、執事になるまで聖職候補生のままでいるわけです。
神学生にも聖職候補生の身分の人がおりますが、更に卒業して教会勤務に任命されてもなお聖職候補生なのです。教区に戻って教会で勤務する聖職候補生もいるわけです。新しい法規では聖職候補生は聖職を目指す者で、執事になる前の期間のひとつのありかたですが、ひとつの職務でもあるのです。この聖職候補生も、職務内容についての規定は法規には「司祭の指導のもとに、その命じる職務を行なう。」(第41条)とだけしか書かれてありません。正式に教役者の補佐として任命されるのですが、聖職候補生は何をするという職務記述は明確ではありません。牧師の下で聖職候補生として勤務するということであります。
法規では、信徒奉事者にせよ、伝道師にせよ、聖職候補生にせよ、具体的な任務の内容については触れられていません。ただし、伝道師や聖職候補生に比べると、信徒奉事者は「礼拝において牧師に協力する」という職務についての規定がありますが、これは具体性があるとは言えません。
英国教会やアメリカ聖公会の規定を見ますと、英国教会にはレイ・リーダー(Lay Reader)という奉仕職があります。これについては病人を訪問し、病人と共に信仰書や聖書を朗読する任務が書かれてあります。また日曜学校などで教えることもあります。また主教の指示によって自分の教会の牧師を助けるということもあります。それから早祷、晩祷、嘆願などの司式をします。(ただし赦罪は除きます。日本聖公会の祈祷書の朝夕の礼拝には懺悔はありますが赦罪はありません。英国教会祈祷書では懺悔の後、司式者が司祭の場合は赦罪の宣言をすることになっています。赦罪は司祭固有のつとめですからレイ・リーダーが司式者の場合は赦罪を除くわけです。)結婚の予告、朗読、ある場合には説教をします。また、子供の入信の準備、会衆の献金の受領と捧げること、あるいはその補佐の仕事です。
レイ・リーダーと一緒にレイ・ワーカー(Lay Worker)の規定もあります。レイ・ワーカーも同じような規定です。早晩祷の司式、聖餐式における分餐の補佐、使徒書・福音書の朗読、あるいは主教の許可により説教、誕生感謝の祈りの司式、幼年葬送式の司式、結婚の予告などができると書かれてあります。
それからアメリカ聖公会の法規にもレイ・リーダーの項目もありますが、教会の牧師が信徒でふさわしいとみなした人物を任命します。それも礼拝を司式することが書かれてあります。また、司牧的奉仕や教会の事務的なことに携わることができます。自分の教会以外のところでその職務を行うという時には特別な認可が必要になります。再任を妨げないということが書かれていますが、英国にせよアメリカにせよ、適切な準備と訓練を行う規定があります。
英国教会やアメリカ聖公会のレイ・リーダーとか、レイ・ワーカーが信徒奉事者に近い仕事ではないかと思います。
従来、教会の公式の職務、特に礼拝の執行、牧会や教育などの任務は聖職がほとんど独占していました。信徒が教会の仕事をしたり、一定の職務執行のため認可を受けたり、公式に任命される習慣はつい最近のことであります。中世ではそういうことはなかったと思います。
「聖職と信徒」とよく言われるように、信徒はよく聖職と区別して考えられます。まず聖職という職務の歴史を、信徒との関連で概観してみたいと思います。
いわゆる信徒奉事者や、伝道師、執事、司祭など(補佐の教役者も含めて)、教役者と呼ばれる教会の奉仕者がどのようにして起こったか、まず見てみたいと思います。
聖職位のことについては祈祷書の聖職按手式の序文が参考になります。主教・司祭・執事という三聖職位の起こりについて次のように書かれてあります。「聖書によれば、キリストの救いのみ業は、使徒たちの時代から教会の中で、多様な職務に表され、これに召された人びとが、その職務をもって神と人びとに仕えていた。そして、主教、司祭、執事と呼ばれる三重の聖職位がその聖なる公会を特徴づけるものとして、ごく初期から重んじられていたことは明らかである」(祈祷書426頁)
このように三聖職位というのは最初から教会に存在していたわけではありません。最初はいろいろな職務があったのです。聖書に書いてありますけれど、教師、宣教者、使徒、預言者とか、エフェソの信徒への手紙4章11節以下にも出ています。「ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。」その他病気を癒す人とか、いろいろな賜物を持った人が職務をになっていたのです。
聖職按手式の序文にもあるように、最初は多様な職務があったのです。その様な多様な職務が、次第にごく初期から監督(主教 エピスコポ)や長老(司祭 プレスビュテロス)や執事(ディアコノス)の三聖職位、主教、司祭、執事の職務に集約されてきたことが書かれてあります。
新約聖書には、教会のそういう多様な職務の中に「司祭」という言葉がないということに注目しなければなりません。「司祭」もやはり、教会の歴史の初期に出てきた言葉です。
ヘブライ人への手紙では、キリストが「肉の掟の律法によらない、メルキゼデクに等しい大祭司」であったと、キリストご自身が祭司であったことが書かれてあります。それからペテロ第一の手紙の中には、「あなたたちは祭司の民」とあるように、教会全体が祭司の共同体であることが書かれてあります。しかし新約聖書では、教会の役職が祭司とか司祭とは言われていないばかりか、むしろそう呼ぶことを避けていたような印象です。その他、ユダヤ教の祭司とか異教の祭司という言葉は使われています。
ですから、司祭という言葉は、どういう背景、どういう脈絡で使われているかがはっきりしないと、その意味を明確にするのはなかなか難しいのです。今の女性司祭按手の問題でもはっきり定義せず、司祭の意味について共通理解をしないで議論している傾向があるようです。
このように、三聖職位とは次第に歴史の中でできてきたもので、ごく初期は多様な職務で、ある人は使徒で、ある人は福音宣教者、ある人は預言者、牧師等々…と呼ばれる奉仕者はいましたが、新約聖書では教会に公認の奉仕職としての「司祭(祭司)ヒエレウス」は出てこないのです。新約時代の教会は働き方が多様なのです。さまざまなあり方で働いていたようです。
わたくしは、このごく初期の教会の在り方から信徒奉事者の在り方を学んでいかなければならないと思います。現代の教会にも多様なニードがあり、多様な問題意識を持ち、多様な関心があります。それに応じて多様な働き方が求められているのです。最後にもまた話しますが、そのことから教会に聖職信徒を問わず多様な仕事が求められているのです。初代教会の人たちの多様な奉仕の仕事が、歴史的にどういうことになっていったかを理解していかなければなりません。
教会の職務の中心は使徒職です。新約聖書でいう十二使徒を規範にしたつとめです。聖公会でよく使徒の権威とか教えを継承すると言います。いわゆる『使徒継承』です。
聖書を読めば、使徒そのものは継承されるような職務ではなかったのです。使徒というのはいわゆる『十二使徒』なのです。使徒たちは今でも天において、イスラエルの十二の部族を治めているのです(ルカ22:30)。十二使徒は、今も天でわたくしたちを支配している使徒です。天国においても使徒なのです。だから後継者は必要ありません。ただ一人イスカリオテのユダだけはイエスを裏切って使徒のつとめを果たせなかったので、「このつとめは、ほかの人が引き受けるがよい」ということで、マティアが継いだのです(使徒言行録1:20)。ほかの使徒には後継者はいません。使徒ヤコブは最初に殉教したことが使徒言行録に出てきますが(12章)、死んでもユダのようにあとを継ぐことは何も書いていないのです。殉教したら、それはもう使徒のつとめを果たして神様の栄光の下に入るわけです。黙示録にも、新しい天のエルサレムの城壁に十二使徒の名前が刻まれ永遠に残されているのです(黙示録21:14)。そういうことで、今でも十二使徒は教会の基礎になっています。
しかし、それでも教会は別の意味で十二使徒のあとを継いでいるのです。どういう形で使徒の職務を継承しているか。ひとつは使徒の宣教の仕事です。教会は神から遣わされたものとして、使徒的な在り方(遣わされた者)の役割を受け継いでおり、使徒の教え、使徒の宣教を継承しています。使徒言行録の第6章に、教会でユダヤ言葉とギリシャ言葉の人たちの対立があった時に、使徒たちが、「わたくしたちはもっぱら神の言葉に仕える。そして食卓に仕える仕事は霊に満ちたこの人たちを選ぼう」と言ってステパノやフィリポなど7人を按手します。これが執事の起源と言われています。これは使徒たちの意図でできたわけで、こういう形で使徒の意図が教会に受け継がれてきているのです。使徒的継承が、使徒の支配的権威の継承と理解されるようになるのは、もう少し後世になってからだと思います。
使徒のつとめの本質は神のしもべになること、「仕える」ということです(マルコ10:42以下)。
なぜそれなら新約聖書には司祭という言葉が出てこないのに、後世になって司祭という言葉が出てきたのでしょうか。
教会の聖餐式は最初から「パン裂き」とか「ユーカリスティア」と呼ばれていましたが、このユーカリスティアは、主イエスが最後の晩餐で制定されたものとして忠実に守られてきました。それでは誰がその聖餐式を司式したのでしょうか。
教会が次第に組織化されてきます。長老職が立てられ、長老職の上に監督職ができてきます。監督とは、使徒の教えを受け継いで会衆を教導し、教会を監督する任務を課せられています。教会は歴史的には、最初は信徒の集まりがあり、皆で集まって交わりを行っていたのが、組織化されてくるとその中から会衆を教え、世話をするための専任の人も必要になってきます。会衆の中から「令聞ある人」を選んで、会衆がその生活を支えて、会衆を指導し、礼拝を司り、世話をしてもらおうということになります。霊的な指導とか、使徒の知恵を受け継いで宣教を組織化し、会衆を監督し、一致の中心になるような人が長老に選ばれ、監督(主教)と呼ばれるようになったものと思います。そういう監督こそ、主イエスが制定し、「私の記念としてこれを行え」と弟子にお命じになった、主の苦難と死と復活の記念のサクラメントを執行するのにふさわしい方だと考えるようになっていったのです。
これは司祭についての議論で明確にしなければならないのですが、最初に司祭がいて聖餐式を司式する権限を保持していたのではなく、最初から司式者だったわけではありません。聖餐式というサクラメントが最初からあって、誰がその司式者にふさわしいかということで、それは監督ではないかということで監督(主教)が執行するようになったのです。そして教会が次第に発展してきますと、あちこちに会衆(集会)が成立し、そこへ主教の代理として長老(プレスビュテロス)を送るようになりました。そういう人たちも主教の代行として司式をするようになりました。
次第に、聖餐式が感謝と賛美の祭りであるとともに、キリストの死を記念し、犠牲を捧げるという考え方が現われてまいります。そういうところから、主教や長老を犠牲を捧げる者とみなし、それは「司祭」と呼ぶのにふさわしいとみなす神学が出てきました。そして「司祭」(ラテン語の「サチェルドス」)という言葉が定着してきたのです。恐らくそれは3世紀になってからのことだと思います。これが聖なる職務であり、「聖職」と呼ばれるようになりました。
ごく初期には、執事が主教を助けて聖餐式の執行を手伝い、病気などで教会に集まれない人たちを訪ねてご聖体を持って運びました。そのようなアシスタントの役割を、単に食卓の分配というだけではなく、サクラメントと関連して、アシスタントの役割をになう執事職が出てきたと思います。次第に監督(主教)・長老(司祭)・執事という三重の聖職位が出てきたわけです。
三聖職位というものは、このように最初からではなく、教会の歴史の中で発展してきたものなのです。
中世紀は上と下の位置づけが大変好きな時代でした。最高の天の神様から、天使、人間(男性が上で女性が下)、それから動物、植物、石、というように全部ランクがつきます。そういうランクづけ、つまり誰が神様に一番近いか、遠いか、ということでものごとを考えました。
教会でもまず神様、キリスト、地上の世界ではキリストの代理である教皇様がいらっしゃって、次に上級聖職位(メイジャー・オーダー)である主教(監督/司教)、司祭(長老)、執事(助祭、輔祭)そして下級聖職位(マイナー・オーダー)である門番(ポーター)、悪魔払い(エクソシスト)、朗読者(レクター)、侍者(アコライト)が続きます。上級聖職者が三聖職位、下級聖職者が4つの職位です。「悪魔払い」といっても癒しの賜物をもって奉仕するとか、「門番」といっても教会の管理をする、という役割があるわけです。たてまえとしては、ローマ・カトリック教会は、このような聖職位を最近まで保持していました。神学生が助祭(執事)になるとき、形式的ではありますがこういうマイナー・オーダーの4つの段階の叙任を経て助祭になっていたわけです。(最近はそうでなくなったようです。)
いろいろな職務があるわけですけれども、それを上下のランクづけにするのです。司祭、執事、信徒。信徒でも男性が上位(人間として完全とみなされ)、女性が下位(人間として不完全とみなされ)というランクづけをしたのです。従って女性が聖職になるなどということは問題外でした。
中世紀のもうひとつの特質は、ミサを執行する職務としての聖職が教会の中心になったことです。ミサが大事になりました。ミサでご聖体を拝領して、その恵みによって次第に聖化されて天国に近づくのです。なにか悪いことをしたら罪の告白をして、償いをして赦しを受けて恵みに与れるようにするのです。司祭がいないと罪が赦されず、天国に行く道は開かれないのです。罪の赦しの恵み、ミサのご聖体に与れるのは司祭を通してです。天からの恵みを聖職は与え、信徒は受けるという上下の立場になり、関係が分離しました。教会のいろいろな奉仕の仕事に信徒の入る余地が狭くなりました。聖職が信徒の生活を支配したのです。
さらに、礼拝用語はラテン語ですから、ほとんどの信徒はミサでなにをやっているのか分からないのです。しまいには聖別祷で司祭がご聖体と杯を高く挙げる時それを仰ぎ見るだけで、陪餐もしないというようなことが起こってしまいました。(現在でも聖餐式中にベルを鳴らすのは、会衆がその時を見過ごさないよう注意を促すためにベルを鳴らしていた名残りです)。
中世紀では、教会における信徒の果たす公認の役割は極めて限定されています。
宗教改革の時代になりますと、信徒の立場が回復されてきます。自己意識が次第に出てくる時代でもあります。中世の一方的な聖職の権威による宗教支配に納得しなくなってきたのです。そして人間(信徒)の在り方が再確認されていきます。
また、航海の技術も進み、海外伝道の機運が盛り上がります。最初はスペインやポルトガルなどからカトリックが進出しますが、18世紀になるとオランダ、イギリスなどプロテスタントが海外伝道を始めます。ヨーロッパの進んだ知識や技術をアジア、アフリカの人びとに伝えようという動きとともに、キリスト教伝道も展開するのです。
そしてアジア、アフリカの各地に教会ができるのですが、最初は現地の人は司祭にはなれませんでした。聖職としてふさわしい資格がないとされていたからです。しかし、現地のことに精通し、宣教師たちの手伝いをする人が必要となり、伝道師(カテキスト)が現地で誕生します。彼らは報酬も少なく、神学教育も十分に受ける機会が与えられませんでした。有名な宣教史家スティーブン・ニールは、「当時の宣教状況の中で、伝道活動で英雄的貢献をしたのはカテキストたちだ」と言っています。世界各地の教会が、現地の司祭によって土着化した教会となったのはつい最近のことですが、実際は当時から現地の人が伝道に活躍していました。やはり、こういう働きが教会の信徒の働きのひとつのモデルになっています。
さらに20世紀の後半になりますと、ことに1970年代以降は、教会における信徒の地位が大きく変化しました。「教会は神の民の共同体」という意識が強められたからです。教会は神の民の集会であり、この世界の人びとのために神の愛を証しし、奉仕する使命をになうという認識が強まりました。聖職も信徒もその使命(宣教)の遂行のために協働するのです。
イエスは「群衆」と共に生き、彼らの救いのために命を捧げたのです。福音書でいう「群衆」とはハンセン病の人、取税人、神殿宗教から疎外されていた人びと、罪人といわれて抑圧され差別されていた人たちです。「群衆」に深い憐れみをもって働くイエスの宣教に奉仕していたのは「弟子」たちでした。イエスと弟子の共同体は「群衆」の解放という使命(ミッション)をになっていたのです。決して閉鎖的な宗教集団ではありませんでした。
このことは今の教会の在り方、ことに教役者とか信徒奉事者の役割を考えるために重要な意味を持っています。教会を巡る世界の人びとに仕えるためにわたしたちは弟子になり、そして群衆に仕えるのです。教会は社会と切り離されたところにあるものではなく、教会はこの社会に生きている群衆に仕えるために遣わされたという意味でイエスと使徒の後継者なのです。現代世界の人びとのニードはさまざまですから、多様な人びとに教会は関わらなければならなくなります。教会の宣教の働きも多様になっていきます。
今世紀後半から教会が宣教(ミッション)ということを強調してきたのは、このような背景があるからです。教会は自らのために存在するのではなく、世界に対して、ことに世界で抑圧されているいわば「群衆」への奉仕という使命があることに気づいたためです。イエス・キリストの使命は群衆の解放のためこの世に来られたところにあります。弟子はそのイエス・キリストの使命(ミッション)に奉仕するために呼び出され、選ばれたのです。
しかし、現代社会で「群衆」の存在に気づき、様々な「群衆」のニーズに答える働きは容易ではありません。現代社会において神の愛がどこに働いているか、神の愛とは何か、イエス・キリストの働きや十字架と復活について、常に聖書を学んで黙想し、礼拝とサクラメントに関わって神の愛の出来事を想起していなければなりません。ただ自分の主観や個人的な関心や感傷で主の愛を理解したり、「群衆」の苦難に同情するだけでは神の愛の業に奉仕していることにはなりません。わたしたちは常に聖書を読み直して、自分が宣教への奉仕とみなして働いていることを、繰り返し吟味し直す必要があります。いわばわたしたち自身、自分では宣教と思ってよいことを実践していると考えていることを、み言葉によって審かれ、刷新される必要があるのです。そうでないと、わたしたちも弟子たちのように、誰がいちばん偉いか議論する自己正当化や自己満足に陥ります(マルコ9:34、10:35以下など)。あるいは、現代世界でますますひどくなる不正や「群衆」の貧困と悲惨の現実を見て、自分たちの能力で何ができるのか、何もできないのではないか(「これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか」マタイ15:33)という悲観論に陥ってしまいます。
自己満足も悲観論も乗り越えて、感謝と希望をもって弟子として奉仕するために、わたしたち自身が神の恵みを繰り返し確認しなければなりません。宣教に奉仕するためには、み言葉の黙想と礼拝が不可欠なのです。教会は、み言葉と礼拝が中心であることを、あらためて強調しなければなりません。
すでに申し上げたとおり、信徒奉事者のつとめも日本聖公会法規に書かれてあるように礼拝が中心です。第63条第2項に、信徒奉事者は「礼拝において、牧師に協力する」と限定されています。
わたしたちは常に神に召されています。自分の欲求や個人的関心で好きなように動くのでなく、神に召されているという確信が大事です。信徒奉事者のアイデンティティは、自分に対して神は何を求めておられるのかという問題に対する応答から始まります。信徒奉事者でなくても熱心に奉仕する人がありますが、大事なことは神に召されているということです。自分に対する赦しの恵みへの感謝の応答として関わっていってほしいと思います。自分の賜物をささげるという意識や責任感が必要です。
また、それぞれの教会の状況も違うので、会衆に受け入れられる働き、つまり多様なニードに、全部応えることは非常に難しいことです。ですから、自分の時間とか、能力にしたがってそれぞれに応じた形で奉仕する、つまりひとりひとり異なる多様な賜物に応じた働きが大事なのです。まず神に召されているということを前提として、自分には何ができるか、自分の関心は何かを自分自身であるいは牧師や信仰の友と語り合いながら考え、決めることが大切です。
長くなりましたが、信徒奉事者は礼拝奉仕が中心である意味がお分かりいただけたと思います。
礼拝(典礼)のことを「リタジー」といいます。この言葉は「信徒」とか「人間」という意味の「レイトス leitos 」という言葉と「エルゴン ergon 」という「業」とか「働き」という言葉の合成されたものです。(leitos + ergon → leitourgia → liturgy )。共同体の人びと全員の「みんなの仕事」ということになります。その中でも信徒奉事者は特に召されて、その「みんなの仕事」が適切に執行できるように積極的に奉仕し、牧師を助けるのがつとめです。そのように召されたつとめを自分の関心、能力に応じて行うのです。
信徒奉事者は、基本的に、祈祷書が使える、つまり朝の祈りとか、夕の礼拝とか、詩編などが祈祷書の何頁に、どこにどういう祈りがあるか、どういう時に使うかということが分かっていることが必要です。また、祈り、自由祈祷などを、求めに応じて実行できることが必要かもしれません。これには訓練が必要となります。
また自分で語るよりも、他人の言うことを聴くことができたりすることなどが必要です。困難な境遇にある人を、具体的には援助することができなくても、神の助けを祈りながら見守ること、こういうことを執行するためにも自分自身の祈りの生活が大事になります。神のみに寄り頼むことです。
また聖書を良く読み、自己訓練をしてください。神から与えられる賜物はそれぞれ異なりますが、神の恵みによって今の自分があり、生きているという信仰によって、神に召されたこのつとめは可能となるのです。
信徒奉事者として各教会でご奉仕くださる方々の数が年々増加しています。また、ここ数年、教区フェスティバルの聖餐式でも教区主教の承認を得て、信徒奉事者による分餐が執り行なわれるようになりました。そういう中で、信徒奉事者の推薦基準や職務、権威などに関する問いが信徒奉事者のいない教会からも関心を持って出されていました。また、信徒奉事者のいる教会間、奉仕者間での共通理解があるだろうかという問いかけも出てきました。
1993年、常設委員長会では神田キリスト教会から寄贈された教育のための献金をもとに、信徒奉事者のための研修プログラムを実施することを決定し、準備を進めていました。そして1994年7月8日、9日の両日、ナザレ修女会において、信徒奉事者研修会が参加者20名(奉事者11名、スタッフ及び特別参加者9名)をもって行われました。主題を『信徒奉事者の現状報告と共通理解。その上で改めて信徒奉事者の職務理解を深める』とし、竹田真教区主教による講演を中心に、各人の現状報告や職務に関する共通理解と各人の賜物をどう生かすかを話し合いました。
この小冊子は当日行われた講演の記録です。宣教委員会では、今後も『奉仕職を考える』というシリーズを発行していく予定です。各教会やグループでの学習のテキストとして、また個人の学びの資料としてお使いください。
今回の研修会実施や小冊子発行にご援助くださった神田キリスト教会、また印刷、発行に際してご協力いただいた広報委員会に、心より感謝申し上げます。
1994年12月
東京教区宣教委員会
信徒奉事者研修準備プロジェクトチーム
リーダー 司祭 岩前 宏